2011年 12月 30日
努力 |
仕事の出来ない人はいつも自分の出来ない理由を他の事にもっていく。
例えば営業マンは営業の成績が上らないと
自分の打っている商品のせいにする。
「この商品がもっとこうだったら・・・」と、
そこで営業力が落ちてくる。
画家が公募展に出品して、落選すると審査員のせいにする。
子供が親の思い通りに育たないと、
それもまた周りのせいや社会環境のせいにする。
学生が、友達が中々出来ないでいて悩んでいることがある。
そうすると自分の境遇のせいにしたり
他人を非難したりと理由をつける。
すべてにおいて、理想と現実の間には
必ず自分自身が埋めていかねばならないものがある。
それらは99%まであるいは100%まで、
自分の努力で埋められるものである。
よくこのような人がいる。
「努力したけどだめだった。
でも、まあ、やることはやったんだから・・・」
と自分を慰める。
それは何もやらなかったことと同じだ。
努力というのはものごとを成し遂げて、
初めて努力した結果と言えるのであって
何も成果がなければ何も努力しなかったのだ。
自分を甘やかす気持ちが自分をダメにし、
それが社会全体に蔓延してくると
社会そのものに「歪み」あるいは
「不公平」が形をつくってしまい、
それを壊そうとしても壊れなくなる。
それが今の日本の官僚社会であったり、
政治の流れだ。
こうしたものはこれらにだけでなく、
会社や団体にもある。
日本美術界の団体もまたそんなことになっている。
努力とはものごとを成し遂げるまですることだ。
例えば営業マンは営業の成績が上らないと
自分の打っている商品のせいにする。
「この商品がもっとこうだったら・・・」と、
そこで営業力が落ちてくる。
画家が公募展に出品して、落選すると審査員のせいにする。
子供が親の思い通りに育たないと、
それもまた周りのせいや社会環境のせいにする。
学生が、友達が中々出来ないでいて悩んでいることがある。
そうすると自分の境遇のせいにしたり
他人を非難したりと理由をつける。
すべてにおいて、理想と現実の間には
必ず自分自身が埋めていかねばならないものがある。
それらは99%まであるいは100%まで、
自分の努力で埋められるものである。
よくこのような人がいる。
「努力したけどだめだった。
でも、まあ、やることはやったんだから・・・」
と自分を慰める。
それは何もやらなかったことと同じだ。
努力というのはものごとを成し遂げて、
初めて努力した結果と言えるのであって
何も成果がなければ何も努力しなかったのだ。
自分を甘やかす気持ちが自分をダメにし、
それが社会全体に蔓延してくると
社会そのものに「歪み」あるいは
「不公平」が形をつくってしまい、
それを壊そうとしても壊れなくなる。
それが今の日本の官僚社会であったり、
政治の流れだ。
こうしたものはこれらにだけでなく、
会社や団体にもある。
日本美術界の団体もまたそんなことになっている。
努力とはものごとを成し遂げるまですることだ。
by fromBerlin
| 2011-12-30 20:25
| 社会