2010年 12月 01日
団体 |
日本の知識者達の話すことは空想夢物語で、
現在(今)の日本の社会で何が起きているのか、
あるいは一人一人の状態はどのようになっているのか、
というところの問題-
つまり、直ぐに手を施さねばならないことから距離を置き、
あるいはそこから逃げて、と言った方が良い。
そして、自論を展開する。
論旨は正にその通りだが、
その論旨の前にしなければならないことがある。
ものごとは一気に二段階、三段階に飛ばないのである。
すべては一から始まる。
その一をいつもなおざりにしている結果、
今の日本社会に問題が累積する。
例えば、いまの日本美術を世界に出そうとすると、
計画立案は立派に出来上るが、
その前に日本国内の美術団体が足枷となる。
今や美術団体は家元制度化し、
一つの流派のようなもので、
それをそのままにして
新しい方向に進めようとしても、逆に進展が滞る。
日本の産業、農業を考えてみると、
農家があり、その上に農協がある。
今や農協の役割は終わったと考えられる。
確かに高度成長期における農協の働きはあったにせよ、
今では既得権のみを守ることに奔走している。
農業改革と言ってはみても、
誰もそこに手を付けようとしない。
識者が言う改革というのは、いつも名目で、
国から予算を引っ張り出す手段に過ぎない。
日本のものづくりを世界に。と言っても、
そこに参加する企業の狙いは、
とどのつまりは国からの補助金目当てで、
その補助金もマーケッティングの戦略で使われるなら
文句はないが、どうもそうではない。
ものづくりを世界に売り込もうとする戦略も、
細部に渡ってどうすれば良いか、ということがない。
いつもどこかに丸投げで、そこがまた丸投げ、
立派な予算も末端に至ると貧相なものでガッカリする。
国の外郭団体、ジェトロというのがあるが、
今やジェトロは無用の長物と言って良い。
改革は、現実問題を直視し、
そこを解体してからでなければ新しい展開にはならない。
現在(今)の日本の社会で何が起きているのか、
あるいは一人一人の状態はどのようになっているのか、
というところの問題-
つまり、直ぐに手を施さねばならないことから距離を置き、
あるいはそこから逃げて、と言った方が良い。
そして、自論を展開する。
論旨は正にその通りだが、
その論旨の前にしなければならないことがある。
ものごとは一気に二段階、三段階に飛ばないのである。
すべては一から始まる。
その一をいつもなおざりにしている結果、
今の日本社会に問題が累積する。
例えば、いまの日本美術を世界に出そうとすると、
計画立案は立派に出来上るが、
その前に日本国内の美術団体が足枷となる。
今や美術団体は家元制度化し、
一つの流派のようなもので、
それをそのままにして
新しい方向に進めようとしても、逆に進展が滞る。
日本の産業、農業を考えてみると、
農家があり、その上に農協がある。
今や農協の役割は終わったと考えられる。
確かに高度成長期における農協の働きはあったにせよ、
今では既得権のみを守ることに奔走している。
農業改革と言ってはみても、
誰もそこに手を付けようとしない。
識者が言う改革というのは、いつも名目で、
国から予算を引っ張り出す手段に過ぎない。
日本のものづくりを世界に。と言っても、
そこに参加する企業の狙いは、
とどのつまりは国からの補助金目当てで、
その補助金もマーケッティングの戦略で使われるなら
文句はないが、どうもそうではない。
ものづくりを世界に売り込もうとする戦略も、
細部に渡ってどうすれば良いか、ということがない。
いつもどこかに丸投げで、そこがまた丸投げ、
立派な予算も末端に至ると貧相なものでガッカリする。
国の外郭団体、ジェトロというのがあるが、
今やジェトロは無用の長物と言って良い。
改革は、現実問題を直視し、
そこを解体してからでなければ新しい展開にはならない。
by fromberlin
| 2010-12-01 13:02
| 社会