2010年 09月 22日
教育改革 |
日本の今の芸術教育は、
大学、大学院、専門学校、全ての教育システムで、
技術的傾向になりすぎている。
その結果、きれいな表現にはなるが、すべてが弱い。
この弱さは、人間的弱さにも通じていて、
総じて日本人全般の弱さと言ってもいい。
では、それを回避する方法は、となると、
社会経験、人生経験を豊富にすることである。
こうした経験が、技術的な面と合体した時、
今と全く違った芸術が生れる。
これは芸術に限ったことではなく、
政治家も社会の上層階級にいる人達も、
経験が不足している。
つまり、学位優位主義の社会になっているためである。
大体にして、芸術教育において、大学院など必要ない。
大学途中からでも社会に出ることを考えた方がいい。
各大学は大学院を増設して、
国から補助金を当てにしている。
そういうことに触れると
教育改革について考えていかねばならないが、
高校や大学が増えたのは、
私達、団塊の世代の人口を基準にしたためで、
その後、少子化になっているにも関わらず、
大学を増やし続けた文部省の無策が、
今日の学識低下を招いている。
これは政治家の連中も関わって、
つまり、大学でも何でも大きな組織を増やすことによって、
そこに利権が生れる構造を作り出してきたからで、
今となっては、これらをなくそうとしても、
中々難しいものがある。
民主党の事業仕分けなどというのも絵に描いた餅で、
頓挫することになる。
それくらい、彼ら利権がからむ連中の根っこは悪どく強力である。
例えば、事業仕分け作業なんていうのはただのパフォーマンスで、
本気で無駄を削るというのであれば、
根こそぎ、その組織を潰してしまうしかない。
改革とはそういうものだと考える。
生半可な小手先だけの改革は、逆に後遺症を残すだけである。
芸術に話を戻すと、日本の芸術組織の改革は、
人間の病気に例えて言えば、
悪性の癌細胞が全身に転移しているようなもので、
改善は不可能である。
その位、世界の土俵で日本の芸術を発展させるのは難しい。
大学、大学院、専門学校、全ての教育システムで、
技術的傾向になりすぎている。
その結果、きれいな表現にはなるが、すべてが弱い。
この弱さは、人間的弱さにも通じていて、
総じて日本人全般の弱さと言ってもいい。
では、それを回避する方法は、となると、
社会経験、人生経験を豊富にすることである。
こうした経験が、技術的な面と合体した時、
今と全く違った芸術が生れる。
これは芸術に限ったことではなく、
政治家も社会の上層階級にいる人達も、
経験が不足している。
つまり、学位優位主義の社会になっているためである。
大体にして、芸術教育において、大学院など必要ない。
大学途中からでも社会に出ることを考えた方がいい。
各大学は大学院を増設して、
国から補助金を当てにしている。
そういうことに触れると
教育改革について考えていかねばならないが、
高校や大学が増えたのは、
私達、団塊の世代の人口を基準にしたためで、
その後、少子化になっているにも関わらず、
大学を増やし続けた文部省の無策が、
今日の学識低下を招いている。
これは政治家の連中も関わって、
つまり、大学でも何でも大きな組織を増やすことによって、
そこに利権が生れる構造を作り出してきたからで、
今となっては、これらをなくそうとしても、
中々難しいものがある。
民主党の事業仕分けなどというのも絵に描いた餅で、
頓挫することになる。
それくらい、彼ら利権がからむ連中の根っこは悪どく強力である。
例えば、事業仕分け作業なんていうのはただのパフォーマンスで、
本気で無駄を削るというのであれば、
根こそぎ、その組織を潰してしまうしかない。
改革とはそういうものだと考える。
生半可な小手先だけの改革は、逆に後遺症を残すだけである。
芸術に話を戻すと、日本の芸術組織の改革は、
人間の病気に例えて言えば、
悪性の癌細胞が全身に転移しているようなもので、
改善は不可能である。
その位、世界の土俵で日本の芸術を発展させるのは難しい。
by fromberlin
| 2010-09-22 01:59
| 社会