2010年 08月 07日
芸術と目的 |
芸術は目的を持たない。
目的を持っている作品、
例えば宗教画のようなものは
純粋芸術作品とは呼べないのであるが、
今日では、人と宗教のあり方も多様化して、
逆に当時の目的を持った宗教絵画は、
今では宗教の束縛から解放されて、
現代人に絵画として見られるようになった。
こうした例は宗教画に限ったことではなく、あらゆる絵画に言える。
例えば、ポスターもその例である。
言い換えると、このように芸術を拡大していったのは
人の思想の自由さで、自由さは、芸術だけではなく、
あらゆる分野で、心の開放を広げたと言える。
ところが、今、その弊害も出ていることは確かで、
それが個人レベルに蔓延。
そのため、ものの価値観が泡ぶくのように膨らんでは消え、
膨らんでは消え。という収集のつかない方向へと拡大している。
その泡を吹き出したのは、若い野心を持った美術評論家達であるが、
もうそういう人達から、私達芸術家は離れて、
芸術家独自の芸術論で進むべきだと考える。
また、20世紀後半からの
現代アートと言われる作品の過度な氾濫は、沈静化し、
誰か特定の人や特定の機関に翻弄されることなく、
芸術家個人の静寂によって、次の時代が訪れ、
次の時代に進めるのも、芸術家個人個人の活動でなければならない。
18世紀以降の近代化時代は、人間社会を様々に分類して進んできた。
それはある意味で正しかった。
しかし、コンピューターの出現は、人間社会の更なる革命となった。
私達芸術家も、更なる革命の中で切磋琢磨していかねばならない。
また、芸術家は、間接的に進む傾向があるが、
この機に、直接的に目的に向って進むことを進言したい。
目的を持っている作品、
例えば宗教画のようなものは
純粋芸術作品とは呼べないのであるが、
今日では、人と宗教のあり方も多様化して、
逆に当時の目的を持った宗教絵画は、
今では宗教の束縛から解放されて、
現代人に絵画として見られるようになった。
こうした例は宗教画に限ったことではなく、あらゆる絵画に言える。
例えば、ポスターもその例である。
言い換えると、このように芸術を拡大していったのは
人の思想の自由さで、自由さは、芸術だけではなく、
あらゆる分野で、心の開放を広げたと言える。
ところが、今、その弊害も出ていることは確かで、
それが個人レベルに蔓延。
そのため、ものの価値観が泡ぶくのように膨らんでは消え、
膨らんでは消え。という収集のつかない方向へと拡大している。
その泡を吹き出したのは、若い野心を持った美術評論家達であるが、
もうそういう人達から、私達芸術家は離れて、
芸術家独自の芸術論で進むべきだと考える。
また、20世紀後半からの
現代アートと言われる作品の過度な氾濫は、沈静化し、
誰か特定の人や特定の機関に翻弄されることなく、
芸術家個人の静寂によって、次の時代が訪れ、
次の時代に進めるのも、芸術家個人個人の活動でなければならない。
18世紀以降の近代化時代は、人間社会を様々に分類して進んできた。
それはある意味で正しかった。
しかし、コンピューターの出現は、人間社会の更なる革命となった。
私達芸術家も、更なる革命の中で切磋琢磨していかねばならない。
また、芸術家は、間接的に進む傾向があるが、
この機に、直接的に目的に向って進むことを進言したい。
by fromberlin
| 2010-08-07 22:24
| アート