2010年 02月 08日
審査と公平 |
諸縁を放射し万事を休息す。
よく禅(座禅)において言うことであるが、
実はこの意味こそ、新しい眼を持つための必要条件である。
諸縁、自分に関わるもの。
放射、それを捨てさり。
万事、すべての動き。
休息、止める。休める。
ということである。
そして只管打座(しかんたざ)、ただ すわる。
展覧会の審査や絵を見る時、
このような状況を自分の心の中につくり、
そしてただ見ていくのである。
経歴とか、学校とか、先生とか、
何のこだわりも持たず作品だけを見る。
とかく、人は縁(えん)から抜け切れないものである。
自分の知人を可愛い、と思う気持ちもわかる。
しかし、大人は、特に年寄りは、ものごとに公平であらねばならない。
今の社会で一番欠けているのがこの公平ということである。
全てのことに公平であれ。
となると、それもまた、社会をおかしくしてしまう。
しかし審査に類するものは公平であらねばならない。
これは政治、経済、文化、科学、芸術。すべて。である。
例えば若い優秀な人がいる。
ところがその人には経済力がない。
そこで上級教育に進むことが出来ない。
これは今日の社会における典型的な不公平の例である。
その時、大人は、この若い優秀な人に
上級学校に進めるようにしてやる義務があるのである。
昔の話であるが、町に、学業優秀な子供がいた。
ところがその子の家庭では中学校に上げてやるだけで精いっぱい。
そこで、それを知った近所の人がその子を大学まで進ませてやった。
私の身辺にそういう人がいて、
一人はJRの重役になり。
一人は医者となった。
教育を授けてくれた人や社会への恩返しとはこのようなことである。
今は、公的な支援があるようであるが、
それが不公平な審査となっているのが問題である。
よく禅(座禅)において言うことであるが、
実はこの意味こそ、新しい眼を持つための必要条件である。
諸縁、自分に関わるもの。
放射、それを捨てさり。
万事、すべての動き。
休息、止める。休める。
ということである。
そして只管打座(しかんたざ)、ただ すわる。
展覧会の審査や絵を見る時、
このような状況を自分の心の中につくり、
そしてただ見ていくのである。
経歴とか、学校とか、先生とか、
何のこだわりも持たず作品だけを見る。
とかく、人は縁(えん)から抜け切れないものである。
自分の知人を可愛い、と思う気持ちもわかる。
しかし、大人は、特に年寄りは、ものごとに公平であらねばならない。
今の社会で一番欠けているのがこの公平ということである。
全てのことに公平であれ。
となると、それもまた、社会をおかしくしてしまう。
しかし審査に類するものは公平であらねばならない。
これは政治、経済、文化、科学、芸術。すべて。である。
例えば若い優秀な人がいる。
ところがその人には経済力がない。
そこで上級教育に進むことが出来ない。
これは今日の社会における典型的な不公平の例である。
その時、大人は、この若い優秀な人に
上級学校に進めるようにしてやる義務があるのである。
昔の話であるが、町に、学業優秀な子供がいた。
ところがその子の家庭では中学校に上げてやるだけで精いっぱい。
そこで、それを知った近所の人がその子を大学まで進ませてやった。
私の身辺にそういう人がいて、
一人はJRの重役になり。
一人は医者となった。
教育を授けてくれた人や社会への恩返しとはこのようなことである。
今は、公的な支援があるようであるが、
それが不公平な審査となっているのが問題である。
by fromberlin
| 2010-02-08 05:43
| 社会