2009年 04月 21日
出会いは活動を広げる |
2000年:
ドイツ・フランクフルトに来てから12日目に、
パンフラワー教室の展覧会を日本語普及センターで見た。
そこに私を連れて行ったのは、不動産屋のYだった。
まだドイツに来て何もわからない私を誘ったのであるが、
私も初めのうちは誘われると、どこにでも行った。
パンフラワー教室を主宰していたのは森岡千代子さんで、
ご主人の赴任に伴ってドイツ滞在13年だという。
彼女は自分のアトリエで私の希望することが出来るようなことを言ったが、
それは実は彼女の勘違いであったことが、彼女のアトリエを訪ねた時分かった。
しかし、逆にそのことが良い方向へ行った。
彼女が週一回、私の活動のために手伝う。と言う。
その彼女の協力が、私のドイツでの活動の始まりであり、活動の基礎づくりとなった。
協力は週一回から週二回となり、彼女は展覧会の出来そうな場所へ私を車で連れて行った。
翌年、森岡夫妻が日本へ帰国するまでそれは続いた。
彼らもまた私の活動を見て、帰国後、福井・三国町で
アーティストのための拠点としてハウスアムメーアを立ち上げた。
http://www.hausammeer.jp/
海外での活動は、人との出会いが多ければ多いほど、活動の発展性はある。
もちろんその中には、自分の活動目的とは無縁のものもある。
しかし、それが初めから分かっていても、触れ合いは持った方が良い。
いかに自分の絵が優れていたとしても、
自分一人で活動を広げていくことは困難である。
「袖触り合うも多生の縁」というのは古くさい言葉だが、
全てを素直に受け入れる姿勢が必要である。
そのうち誰かが良い話を持ってくると信じている。
活動初めの2年間は、展示会の出来る場所ならどこでも展示をした。
中には屈辱的な場所もあった。
3年目あたりから、展示場所も良くなり出し、
ビスバーデンのアートフォーラムでブース(無料)を与えられたのも、
それまでの活動を人が見ていたのである。
ドイツ・フランクフルトに来てから12日目に、
パンフラワー教室の展覧会を日本語普及センターで見た。
そこに私を連れて行ったのは、不動産屋のYだった。
まだドイツに来て何もわからない私を誘ったのであるが、
私も初めのうちは誘われると、どこにでも行った。
パンフラワー教室を主宰していたのは森岡千代子さんで、
ご主人の赴任に伴ってドイツ滞在13年だという。
彼女は自分のアトリエで私の希望することが出来るようなことを言ったが、
それは実は彼女の勘違いであったことが、彼女のアトリエを訪ねた時分かった。
しかし、逆にそのことが良い方向へ行った。
彼女が週一回、私の活動のために手伝う。と言う。
その彼女の協力が、私のドイツでの活動の始まりであり、活動の基礎づくりとなった。
協力は週一回から週二回となり、彼女は展覧会の出来そうな場所へ私を車で連れて行った。
翌年、森岡夫妻が日本へ帰国するまでそれは続いた。
彼らもまた私の活動を見て、帰国後、福井・三国町で
アーティストのための拠点としてハウスアムメーアを立ち上げた。
http://www.hausammeer.jp/
海外での活動は、人との出会いが多ければ多いほど、活動の発展性はある。
もちろんその中には、自分の活動目的とは無縁のものもある。
しかし、それが初めから分かっていても、触れ合いは持った方が良い。
いかに自分の絵が優れていたとしても、
自分一人で活動を広げていくことは困難である。
「袖触り合うも多生の縁」というのは古くさい言葉だが、
全てを素直に受け入れる姿勢が必要である。
そのうち誰かが良い話を持ってくると信じている。
活動初めの2年間は、展示会の出来る場所ならどこでも展示をした。
中には屈辱的な場所もあった。
3年目あたりから、展示場所も良くなり出し、
ビスバーデンのアートフォーラムでブース(無料)を与えられたのも、
それまでの活動を人が見ていたのである。
by fromBerlin
| 2009-04-21 16:59
| アート活動