2009年 04月 20日
ドイツに来た時のこと |
1997年。50才を目前にして、さて、自分の人生はどうだったのか。
と考えた時、何かやり残したことがいっぱいありそうで、それに
「これで良いのか」と自分に問いかけてみたり、と複雑な想いがあった。
また、このまま年老いて生きていくことに抵抗を感じた。
そこで、とにかくもう一回自分の絵と人生を一からやり直してみたい。
そう思って海外へ出ることに決めたが、なかなか行く場所が決まらなかった。
つまり、海外とのコネが何もなかった。
それから毎日、日本国内のありとあらゆるところに、自分が海外へ行って活動する方法を尋ねたり、
どこか教えてくれるところを探したが、中々うまくいかなかった。
時間はどんどん過ぎ、海外へ行こうと考えて一年が過ぎた。
1998年の秋になって、一人の貿易アドバイザーが私のアトリエに訪ねて来た。
彼の持ってきた話は「ドイツのフランクフルトで展示の機会があるがどうだろう」というものだった。
私はそれまで、ドイツに行くことは全く考えていなかった。
しかし、一も二もなく彼の話を受け入れた。
ドイツは希望のところではなかったが、その時「多分この機会しかないだろう」と直感した。
「海外で展示できるならどこでもいい」と思った。
それからすぐにドイツでの展示の準備を始めたが、それまで海外へ出たことがなかったので、
パスポートの取得からしなければならなかった。
準備も順調に行かなかった。
ドイツの国の風景やフランクフルトの街の様子は写真で見ることが出来る。
ところが、私とそれらとの間に真暗闇の空間があるのである。
これは海外へ行ったことのない人には必ずあるのではないか。
それが一つの不安となって、暗闇の中で様々な想いが交錯するのである。
ところが、フランクフルトに来てみたら「なんだ、こんなものか」くらいにしか感じなかった。
もちろん街並みは日本と違うが、生活様式は何も変わらない。
日本を出るまでの不安は全くなくなっていた。
あとは、50年間の経験の中で動けば良いだけだった。
案ずるより産むがやすしとはこのことである。
展示会の準備を終えてから、私は街にすぐ出た。
フランクフルトの街は私にとってすべてが新鮮であった。
そして、その一年後、渡独した。
50からの新しい人生の始まりとなった。
と考えた時、何かやり残したことがいっぱいありそうで、それに
「これで良いのか」と自分に問いかけてみたり、と複雑な想いがあった。
また、このまま年老いて生きていくことに抵抗を感じた。
そこで、とにかくもう一回自分の絵と人生を一からやり直してみたい。
そう思って海外へ出ることに決めたが、なかなか行く場所が決まらなかった。
つまり、海外とのコネが何もなかった。
それから毎日、日本国内のありとあらゆるところに、自分が海外へ行って活動する方法を尋ねたり、
どこか教えてくれるところを探したが、中々うまくいかなかった。
時間はどんどん過ぎ、海外へ行こうと考えて一年が過ぎた。
1998年の秋になって、一人の貿易アドバイザーが私のアトリエに訪ねて来た。
彼の持ってきた話は「ドイツのフランクフルトで展示の機会があるがどうだろう」というものだった。
私はそれまで、ドイツに行くことは全く考えていなかった。
しかし、一も二もなく彼の話を受け入れた。
ドイツは希望のところではなかったが、その時「多分この機会しかないだろう」と直感した。
「海外で展示できるならどこでもいい」と思った。
それからすぐにドイツでの展示の準備を始めたが、それまで海外へ出たことがなかったので、
パスポートの取得からしなければならなかった。
準備も順調に行かなかった。
ドイツの国の風景やフランクフルトの街の様子は写真で見ることが出来る。
ところが、私とそれらとの間に真暗闇の空間があるのである。
これは海外へ行ったことのない人には必ずあるのではないか。
それが一つの不安となって、暗闇の中で様々な想いが交錯するのである。
ところが、フランクフルトに来てみたら「なんだ、こんなものか」くらいにしか感じなかった。
もちろん街並みは日本と違うが、生活様式は何も変わらない。
日本を出るまでの不安は全くなくなっていた。
あとは、50年間の経験の中で動けば良いだけだった。
案ずるより産むがやすしとはこのことである。
展示会の準備を終えてから、私は街にすぐ出た。
フランクフルトの街は私にとってすべてが新鮮であった。
そして、その一年後、渡独した。
50からの新しい人生の始まりとなった。
by fromBerlin
| 2009-04-20 18:39
| アート活動