2017年 04月 12日
日本の教育 |
先日、廃校になった千葉の里見小学校で写真撮りのイベントがありそこの体育館に行った。
体育館には、小学生の作品が何百点か貼られていた。
それを見て、こんな教育指導をしているのかと憤慨とも落胆ともいえるため息が出た。
私には、まるで何百点もの児童の作品が一人のもののように見えたからである。
つまり、指導方法がそのようになるようにしている。ということである。
これが今の社会であるのか。口では個性と言うが、それが成されていない。
これが今の教育である。
もっとはっきり言えば、あまり規則を作りすぎて、
教師の自由が奪われてしまった結果である。
このことは文科省や日本政府の怠慢といえる。
また、各PTAも真剣に子供のことを考えていないことにも多少の原因がある。
これは、日本特有の性質の中にあると言える。全てをオープンにする姿勢がないからである。
私は、ドイツにいて音楽学校の卒業試験を見て驚いた。
私はその時ただの観客にすぎなかったが、教授達の採点は私達観客がいる場所でやっていた。
教授達の話し声は当然聞こえてくる。このオープンな様子のすごさ、びっくりであった。
何でもかんでも隠蔽する日本社会とは全然違う。
ついでに言えば、日本政府に提唱する第一位は、隠蔽からの解放である。
by fromBerlin
| 2017-04-12 13:48
| 社会