2014年 04月 02日
助成金 |
ベルリンに多くの
若い日本人アーティストが来て活動しているが、
それが2つに分かれる。
一つは助成金を抱えて来た者、
もう一つは自腹を切って来た者、
この両者になるようだ。
その中身を見ると
有名大学系の連中が助成金を取り易いようである。
これは学閥がものを言うのかもしれない。
そこに日本社会の不透明さが感じられる。
自腹を切って来ている者は
親の金か自分の貯金、
それと現地でのアルバイトでやっている。
親の金をあてに出来る者はノンキなところもあるが、
貯金とアルバイトの連中は必死にならざるを得ない。
そこで生産される作品は、となると
どちらかと言うと
金のないアルバイト型の活動の方が良くなっている。
助成金の連中は
日本の甘い作品そのままを
継続しているだけのようなところがあり、
生きた現地のアート事情を反映していない。
つまり、助成金は生きたお金になっていないのである。
こうした傾向はこの手の助成金に限らず
日本における助成金制度全体に言えることである。
政府が出す産業振興を目的としたものであっても
それが未来に生きる金となっていないのが現状である。
本当に助成金が必要な連中は誰れか
というところを見極める必要がある。
しかし、そこをどのようにつくるかが難しいことも分かる。
ではどのように判断すれば良いか、となると、
アートであれば
作品の資質を見て判断するのが一番確かである。
過去5年間の活動と作品の流れを見れば
助成金に値するかどうかがはっきり分かる。
一般事業(会社)であれば
事業内容と社員調査が必要である。
また大震災の被災者復興の個人事業であれば
本人の意志確認、協力者と地域効果を見れば
充分助成金に値するかどうかが分かる。
生きた助成金とするには
出す側の目的意識をはっきりさせた
判断能力が不可欠である。
そして助成金を受けた人は
税金を使っている
という意識を持つことである。
P.S.
ミュージアム竹下成果工場にも
公的資金の助成金が取り沙汰されているが私は検討中です。
なぜならば私は自由にやりたい。
若い日本人アーティストが来て活動しているが、
それが2つに分かれる。
一つは助成金を抱えて来た者、
もう一つは自腹を切って来た者、
この両者になるようだ。
その中身を見ると
有名大学系の連中が助成金を取り易いようである。
これは学閥がものを言うのかもしれない。
そこに日本社会の不透明さが感じられる。
自腹を切って来ている者は
親の金か自分の貯金、
それと現地でのアルバイトでやっている。
親の金をあてに出来る者はノンキなところもあるが、
貯金とアルバイトの連中は必死にならざるを得ない。
そこで生産される作品は、となると
どちらかと言うと
金のないアルバイト型の活動の方が良くなっている。
助成金の連中は
日本の甘い作品そのままを
継続しているだけのようなところがあり、
生きた現地のアート事情を反映していない。
つまり、助成金は生きたお金になっていないのである。
こうした傾向はこの手の助成金に限らず
日本における助成金制度全体に言えることである。
政府が出す産業振興を目的としたものであっても
それが未来に生きる金となっていないのが現状である。
本当に助成金が必要な連中は誰れか
というところを見極める必要がある。
しかし、そこをどのようにつくるかが難しいことも分かる。
ではどのように判断すれば良いか、となると、
アートであれば
作品の資質を見て判断するのが一番確かである。
過去5年間の活動と作品の流れを見れば
助成金に値するかどうかがはっきり分かる。
一般事業(会社)であれば
事業内容と社員調査が必要である。
また大震災の被災者復興の個人事業であれば
本人の意志確認、協力者と地域効果を見れば
充分助成金に値するかどうかが分かる。
生きた助成金とするには
出す側の目的意識をはっきりさせた
判断能力が不可欠である。
そして助成金を受けた人は
税金を使っている
という意識を持つことである。
P.S.
ミュージアム竹下成果工場にも
公的資金の助成金が取り沙汰されているが私は検討中です。
なぜならば私は自由にやりたい。
by fromBerlin
| 2014-04-02 19:56
| アート活動