2013年 09月 04日
フランクフルト |
フランクフルト一週間の滞在は色んなものを私に見せてくれた。
建設中のユーロ中央銀行
これはなぜかバベルの塔かバブルの塔のように見えた。
マイン川のユーロ中央銀行のところに橋が掛けられていた。
これでまたフランクフルトの経済地図が変わる。
エリートだけが集まるレストラン&ホテルを見学した。
なるほど金融の街フランクフルトらしい光景だった。
駐車場はさながらオートショウだった。
その一角を借りてイタリアレストランの営業があった。
そこで私達は食事をしたが安くて美味かった。
久しぶりにギャラリー街を歩いた。
アートビジネスの活気は全く見られなかった。
美術館付属の本屋もなくなっていた。
観光客もアートよりアイスクリームの方がいいようだ。
ホテルでテレビを見た。
これも久しぶりのことで
テニスのUSオープンと第二次世界大戦の記録映画を観た。
テニス界のトップクラスは激戦の中で
自分の位置を維持しなければならない。
少しの油断も許されない。
第二次世界大戦の記録フィルムは日本社会とは別で、
ありのままを映し出していた。
ヒットラーと共に死んだ子供達の姿が
地べたに並べられていたのは印象的であった。
その横に真っ黒焦げの人物があった。
それがヒットラーかどうかは分からない。
ついでに言えば、ドイツにはヒットラーという苗字はない。
もともとヒットラーはヒードラーという苗字だったが
それを嫌って自分でヒットラーと付けた。
このことは後々ドイツ人にとって良かったことになる。
私にとって良い話もあった。
フランクフルト到着二日目に展示会の打合せで
フランクフルトから車で1時間半のワイン畑の産地に行った。
どんな展示かと思っていたがそこが私の大展示場となるようだ。
これで私の作品も死後、散らばることがない。
ありがたいことだ。
建設中のユーロ中央銀行
これはなぜかバベルの塔かバブルの塔のように見えた。
マイン川のユーロ中央銀行のところに橋が掛けられていた。
これでまたフランクフルトの経済地図が変わる。
エリートだけが集まるレストラン&ホテルを見学した。
なるほど金融の街フランクフルトらしい光景だった。
駐車場はさながらオートショウだった。
その一角を借りてイタリアレストランの営業があった。
そこで私達は食事をしたが安くて美味かった。
久しぶりにギャラリー街を歩いた。
アートビジネスの活気は全く見られなかった。
美術館付属の本屋もなくなっていた。
観光客もアートよりアイスクリームの方がいいようだ。
ホテルでテレビを見た。
これも久しぶりのことで
テニスのUSオープンと第二次世界大戦の記録映画を観た。
テニス界のトップクラスは激戦の中で
自分の位置を維持しなければならない。
少しの油断も許されない。
第二次世界大戦の記録フィルムは日本社会とは別で、
ありのままを映し出していた。
ヒットラーと共に死んだ子供達の姿が
地べたに並べられていたのは印象的であった。
その横に真っ黒焦げの人物があった。
それがヒットラーかどうかは分からない。
ついでに言えば、ドイツにはヒットラーという苗字はない。
もともとヒットラーはヒードラーという苗字だったが
それを嫌って自分でヒットラーと付けた。
このことは後々ドイツ人にとって良かったことになる。
私にとって良い話もあった。
フランクフルト到着二日目に展示会の打合せで
フランクフルトから車で1時間半のワイン畑の産地に行った。
どんな展示かと思っていたがそこが私の大展示場となるようだ。
これで私の作品も死後、散らばることがない。
ありがたいことだ。
by fromBerlin
| 2013-09-04 01:24
| 他