2012年 11月 09日
原発10 袈(け)を晴にする。 |
原発のような際立ったモチーフを作品にすることで、
昔、私が日本画・日展に励んでいたあたりだったが、
日本画家杉山寧の作品批評の中で
「袈(け)を晴にする。」というのがあった。
これはどういうことかと言うと、
袈(け)とは私的で日常的な事柄のことを言うが、
それを晴、つまり公的で非日常的な事柄に
表現するということである。
もう少し具体的なことを言うと
日々の平凡な存在のものを画面に表現する時は
高い品性を備えた存在にするということでもある。
当然それらは作家自身の内なるものが
そのようになっていないとならないことであるが。
あるいは少し的をはずしていえば、
醜いものでも画面に表現するときは
その実体から掛け離れたとしても
表現に高い品格を見ることが出来ることである。
となる。
袈(け)を袈のまま表現してしまえば
それは芸術ではない、と言える。
こうしたことも参考にして
原発の作品に取り組んでもらいたい。
P.S.
私は日本画から始めて、その勉強の内容が
宗教的精神性が強かったことに
今ではそれが良かったと考えている。
また、ドイツに来て通用しているのはその点にある
と言える。
昔、私が日本画・日展に励んでいたあたりだったが、
日本画家杉山寧の作品批評の中で
「袈(け)を晴にする。」というのがあった。
これはどういうことかと言うと、
袈(け)とは私的で日常的な事柄のことを言うが、
それを晴、つまり公的で非日常的な事柄に
表現するということである。
もう少し具体的なことを言うと
日々の平凡な存在のものを画面に表現する時は
高い品性を備えた存在にするということでもある。
当然それらは作家自身の内なるものが
そのようになっていないとならないことであるが。
あるいは少し的をはずしていえば、
醜いものでも画面に表現するときは
その実体から掛け離れたとしても
表現に高い品格を見ることが出来ることである。
となる。
袈(け)を袈のまま表現してしまえば
それは芸術ではない、と言える。
こうしたことも参考にして
原発の作品に取り組んでもらいたい。
P.S.
私は日本画から始めて、その勉強の内容が
宗教的精神性が強かったことに
今ではそれが良かったと考えている。
また、ドイツに来て通用しているのはその点にある
と言える。
by fromBerlin
| 2012-11-09 14:31
| 作品制作について