2011年 05月 09日
日本美術界 |
日本の美術団体公募展の活動の意義は、
典型的な日本社会のあり方を見せている。
つまり、辛抱強く我慢した結果に
何かを得られるというもの、
「苦節」というのが最もよくあてはまると思う。
それにたて社会の年功序列というもの、
そうしたしがらみの中で制作し続けるわけだから
一地方色になってしまうのは否めない。
そこにいくと海外で活動する連中の絵は
自由奔放でしがらみというものがない。
但し、年を重ねても日本の中で
社会的地位は保証されない。
これは国内派と国外派と
二つの派閥が出来上がっているわけで、
そこで国内派は排除の論理に終止することになる。
しかし、その内それも無くさねばならないと思う。
日本の美術界、画商連中も
実はこうした壁を取り払いたいと思っているが、
その方法がわからず、
それに国内派に対する意識の持ち方を計りかねている。
これからの日本美術界も
ある一つの協議の場を持った方が良い。
それは今の芸術院会員のごときものではなく、
また、年功序列的なものでもなく、
世界に散らばっている連中と国内派と
開かれた場をもつことだと思う。
しかしこれは理想論かもしれない。
P.S.
2011年企画参加者の中から何十名かを選び、
ニューヨークグループ展を2012年に持ちたいと
考えています。
典型的な日本社会のあり方を見せている。
つまり、辛抱強く我慢した結果に
何かを得られるというもの、
「苦節」というのが最もよくあてはまると思う。
それにたて社会の年功序列というもの、
そうしたしがらみの中で制作し続けるわけだから
一地方色になってしまうのは否めない。
そこにいくと海外で活動する連中の絵は
自由奔放でしがらみというものがない。
但し、年を重ねても日本の中で
社会的地位は保証されない。
これは国内派と国外派と
二つの派閥が出来上がっているわけで、
そこで国内派は排除の論理に終止することになる。
しかし、その内それも無くさねばならないと思う。
日本の美術界、画商連中も
実はこうした壁を取り払いたいと思っているが、
その方法がわからず、
それに国内派に対する意識の持ち方を計りかねている。
これからの日本美術界も
ある一つの協議の場を持った方が良い。
それは今の芸術院会員のごときものではなく、
また、年功序列的なものでもなく、
世界に散らばっている連中と国内派と
開かれた場をもつことだと思う。
しかしこれは理想論かもしれない。
P.S.
2011年企画参加者の中から何十名かを選び、
ニューヨークグループ展を2012年に持ちたいと
考えています。
by fromberlin
| 2011-05-09 15:49
| アート