2010年 11月 15日
開眼 |
最近の日本のものづくり-美術、工芸、全般に言えることは、
どの作り手も、自然の摂理が足りない。
それはどうしてそうなるのか、と言えば、
新しさを求めるあまりに
先人の作品からヒントを得て作るので、
どうしても技術的な面に足りがちで、
そうすると当然に訴える力というものが弱くなる。
つまりこれは、机上でのみ作品制作しているのと同じで、
自分自身の霊の根底から湧き出る創造の精神の発露とならない。
これは美術、工芸に限らず、文学小説や評論文もその傾向にある。
私は良く、若い人に自然を写生することを薦める。
自然の中に触れるということが大切で、
すると自然は、その都度私達に
ものごとの摂理というものを諭してくれる。
例えば、森に入って行くと、風で木葉がゆれる。
中にはひらひら落ちてくるものがある。
落ちる葉、落ちない葉の違いはなにか?
人の手が入らない自然そのままの森には、
朽ちた木の折れ腐っているもの、
あるいはガシッと太く根付いているもの、
同じ木でもどうしてそうなるのか?
こうして語れば数限りなく問題が出て来る。
その問題を自身の経験と照らし合わせて、
熟考してみることが大切である。
そこにものごとへの開眼がある。
そうした実体験というものは、
どんな理論よりも強いと信じている。
ものごとへの開眼には、
特別な本を読む必要もなく、特別な訓練をする必要もない。
平常の中に、開眼のヒントは満ち満ちている。
これはうろ覚えであるが、
幕末の剣の達人に、佐藤何がしといったと思う。
彼は小さい時から剣の修行をしたわけではない。
ある時、剣の達人になりたいと考えて始めたことは、
毎日、こより(紙をまるくして針のようにする)を作って
行燈を突き刺す訓練をしたという。
初めはふにゃ、と折れてしまうが、
だんだん集中力が高まり、それを突き刺すことになる。
そして、鋭く鋭利に、その訓練で
彼は剣もまた同じと考えたのである。
それ故彼の剣は、独学である。
人から学ぶのは、その師匠の枠の中でのことであるから、
ある程度そこで学んだとしてもそれ以上にはならない。
もし師匠を超えたいと思えば、
独自の方法を考えねばならない。
但し、独学は、得てして独りよがりの中にはまり込み易い
という難点はある。
それを改善するのは、
自然や宇宙の論理を深く追求し、理解することだと信じている。
そこに新たな自身のもののスケールが加わる。
P.S.
1.Creators-DENの第一回の宣伝のために
クリスマスカード、今回はニューヨークのギャラリーに出します。
今のところ、人数が少ないので、全員の名前を入れたいと考えています。
Creators-DEN Europeも一緒にします。
2.ニューヨークの展示場は、近々決まると思いますが、
バーゼルの展示場で売れた絵を持って行きたいと考えています。
3.実は、アメリカ各地にビジネスを展開している人がいて、
そことのコラボレーションも視野に入れています。
4.アートを見せるだけだと考えていては、
いつまで経っても世界のアート界に受け入れられません。
どの作り手も、自然の摂理が足りない。
それはどうしてそうなるのか、と言えば、
新しさを求めるあまりに
先人の作品からヒントを得て作るので、
どうしても技術的な面に足りがちで、
そうすると当然に訴える力というものが弱くなる。
つまりこれは、机上でのみ作品制作しているのと同じで、
自分自身の霊の根底から湧き出る創造の精神の発露とならない。
これは美術、工芸に限らず、文学小説や評論文もその傾向にある。
私は良く、若い人に自然を写生することを薦める。
自然の中に触れるということが大切で、
すると自然は、その都度私達に
ものごとの摂理というものを諭してくれる。
例えば、森に入って行くと、風で木葉がゆれる。
中にはひらひら落ちてくるものがある。
落ちる葉、落ちない葉の違いはなにか?
人の手が入らない自然そのままの森には、
朽ちた木の折れ腐っているもの、
あるいはガシッと太く根付いているもの、
同じ木でもどうしてそうなるのか?
こうして語れば数限りなく問題が出て来る。
その問題を自身の経験と照らし合わせて、
熟考してみることが大切である。
そこにものごとへの開眼がある。
そうした実体験というものは、
どんな理論よりも強いと信じている。
ものごとへの開眼には、
特別な本を読む必要もなく、特別な訓練をする必要もない。
平常の中に、開眼のヒントは満ち満ちている。
これはうろ覚えであるが、
幕末の剣の達人に、佐藤何がしといったと思う。
彼は小さい時から剣の修行をしたわけではない。
ある時、剣の達人になりたいと考えて始めたことは、
毎日、こより(紙をまるくして針のようにする)を作って
行燈を突き刺す訓練をしたという。
初めはふにゃ、と折れてしまうが、
だんだん集中力が高まり、それを突き刺すことになる。
そして、鋭く鋭利に、その訓練で
彼は剣もまた同じと考えたのである。
それ故彼の剣は、独学である。
人から学ぶのは、その師匠の枠の中でのことであるから、
ある程度そこで学んだとしてもそれ以上にはならない。
もし師匠を超えたいと思えば、
独自の方法を考えねばならない。
但し、独学は、得てして独りよがりの中にはまり込み易い
という難点はある。
それを改善するのは、
自然や宇宙の論理を深く追求し、理解することだと信じている。
そこに新たな自身のもののスケールが加わる。
P.S.
1.Creators-DENの第一回の宣伝のために
クリスマスカード、今回はニューヨークのギャラリーに出します。
今のところ、人数が少ないので、全員の名前を入れたいと考えています。
Creators-DEN Europeも一緒にします。
2.ニューヨークの展示場は、近々決まると思いますが、
バーゼルの展示場で売れた絵を持って行きたいと考えています。
3.実は、アメリカ各地にビジネスを展開している人がいて、
そことのコラボレーションも視野に入れています。
4.アートを見せるだけだと考えていては、
いつまで経っても世界のアート界に受け入れられません。
by fromberlin
| 2010-11-15 10:41
| 作品制作について