2010年 08月 23日
地方の文化活動 |
日本人は、何をするにも大都会でなければならないと考えている。
それは、戦後の経済復興がなされている時くらいまでは、
ある程度正しい。と言える。
昭和40年前後。
地方の文化活動は、非常に見るべきものがあった。
この時期、新聞社や出版社、自治体は一丸になって、
日本文化の掘り起こしにかかったものである。
もう20年以上前になるが、松島を描くことを依頼されて、
松島に関する資料を集めている中で、
昭和42年に朝日新聞社が、
200以上ある松島を一つ一つ、
テンマ船、つまり、櫓漕ぎで各島に渡り、
島の浸食状況や、形、名前の由来まで調べ上げた特集記事を見た時、
その丁寧な調査活動に頭が下がった。
私は、その資料(全記事)を朝日新聞社から受け取り、
制作の参考資料とした。
余談になるがその時は、セスナをチャーターして、
空からの松島、当然、船で海からの松島と、
多方面から観察をしたものである。
また、地方の文化遺産は、都会の比ではないと考えているので、
その企画立案を丹念に練っていけば、
都会以上に良いもの、スケールの大きいものが出来る。
また、人材もいないのではない。
眠っているのである。
地方の優れた人材の目を覚まさせることが大切である。
その結果、地方の活性化となってくる。
福井県三国町にも、小野忠弘メモリアルがあって、
そこの館長の戸田さんの実績は、
世界にどんどん押し出してやって良いものである。
60才、70才になると、
どうも収まってしまうところがあるが、
先日、Kultur & Bahn のナーゲル理事長との会話で、
彼は、60才のアーティストはまだヤングなんだ、と言っている。
そうすると私も、ヤングアーティストとなる。
常日頃から私は、他人から10年遅れていると考えているので、
その言葉は逆にありがたかった。
その土地を活性化させる方法の一つとして、
人材を蘇生させることが必要と考えている。
また、優秀な人は、
「やりたい人がやればいい」という考えを捨ててもらって、
自ら蘇生し、その人の力にふさわしい活動をしてもらいたいと考えている。
福井のあちこちにそういう人がいっぱいいるのではないかと。
P.S.
来年はカタログを作らないで、ウェブサイト・Creators-DEN
を宣伝していきたいと考えています。
それは、戦後の経済復興がなされている時くらいまでは、
ある程度正しい。と言える。
昭和40年前後。
地方の文化活動は、非常に見るべきものがあった。
この時期、新聞社や出版社、自治体は一丸になって、
日本文化の掘り起こしにかかったものである。
もう20年以上前になるが、松島を描くことを依頼されて、
松島に関する資料を集めている中で、
昭和42年に朝日新聞社が、
200以上ある松島を一つ一つ、
テンマ船、つまり、櫓漕ぎで各島に渡り、
島の浸食状況や、形、名前の由来まで調べ上げた特集記事を見た時、
その丁寧な調査活動に頭が下がった。
私は、その資料(全記事)を朝日新聞社から受け取り、
制作の参考資料とした。
余談になるがその時は、セスナをチャーターして、
空からの松島、当然、船で海からの松島と、
多方面から観察をしたものである。
また、地方の文化遺産は、都会の比ではないと考えているので、
その企画立案を丹念に練っていけば、
都会以上に良いもの、スケールの大きいものが出来る。
また、人材もいないのではない。
眠っているのである。
地方の優れた人材の目を覚まさせることが大切である。
その結果、地方の活性化となってくる。
福井県三国町にも、小野忠弘メモリアルがあって、
そこの館長の戸田さんの実績は、
世界にどんどん押し出してやって良いものである。
60才、70才になると、
どうも収まってしまうところがあるが、
先日、Kultur & Bahn のナーゲル理事長との会話で、
彼は、60才のアーティストはまだヤングなんだ、と言っている。
そうすると私も、ヤングアーティストとなる。
常日頃から私は、他人から10年遅れていると考えているので、
その言葉は逆にありがたかった。
その土地を活性化させる方法の一つとして、
人材を蘇生させることが必要と考えている。
また、優秀な人は、
「やりたい人がやればいい」という考えを捨ててもらって、
自ら蘇生し、その人の力にふさわしい活動をしてもらいたいと考えている。
福井のあちこちにそういう人がいっぱいいるのではないかと。
P.S.
来年はカタログを作らないで、ウェブサイト・Creators-DEN
を宣伝していきたいと考えています。
by fromberlin
| 2010-08-23 15:33
| 社会