2010年 07月 18日
阿修羅像 |
今、阿修羅の像が、日本国中で大人気だという。
私が20年前に奈良にいて、仏教美術を見て歩いた時、
一体何人ほどの人が阿修羅像の前に立っていただろうか、
いつも、興福寺の仏像展示場は閑散として、
数えるくらいの人しかいなかった。
私が阿修羅の顔を間近で拝しても、
注意する警備員は誰も現れず、
像とじっくり対峙出来たものである。
また、良く、法華時の本堂、十一面観音も見に行った。
像は小さいが、美しさと高い品性があり、
像としての出来はこちらの方が上。
ある時、本堂の中に座り込んで見ている内に、
うとうとして、柱に寄り掛かり、居眠りをしたことがあった。
ゆったりした鑑賞であった。
さらに、東大寺の北側に四天王像があって、
それを見て廻っていた時など、人は私以外いなかった。
つまり、どっぷり、仏像に浸かった状態で見れた。
話は阿修羅の像に戻るが、
私はその像について、何の資料も見たり、読んだりしていないので、
私の見た感想をそのまま述べると、
当時、つまり、天平時代のことであるが、
制作された阿修羅の像を見て、
当時の人々は、あまり、高い評価をしなかったのではないか、
という気がしている。
つまり、他の仏像と可也かけ離れたところがあり、
顔もまた、具象過ぎる。
もう一つ言えば、
「左程の名工の手によってつくられたものにあらず」と。
しかし、今日となって、逆にそれらのことが、
現代的で普遍的美が、そこに見えてくる。
奈良では、仏教美術以外にも、多くのものを見た。
そこで一言、「奈良の社会は、奈良時代」
P.S.
1.今度、私の経験から語る海外へ出品するためのマニュアル本を
出そうと思います。
2.日独交流150周年の150人の作品による展覧会を
ハイデルベルクのお城で企画しています。
日本人、ドイツ人、合同展。2011年 夏。
私が20年前に奈良にいて、仏教美術を見て歩いた時、
一体何人ほどの人が阿修羅像の前に立っていただろうか、
いつも、興福寺の仏像展示場は閑散として、
数えるくらいの人しかいなかった。
私が阿修羅の顔を間近で拝しても、
注意する警備員は誰も現れず、
像とじっくり対峙出来たものである。
また、良く、法華時の本堂、十一面観音も見に行った。
像は小さいが、美しさと高い品性があり、
像としての出来はこちらの方が上。
ある時、本堂の中に座り込んで見ている内に、
うとうとして、柱に寄り掛かり、居眠りをしたことがあった。
ゆったりした鑑賞であった。
さらに、東大寺の北側に四天王像があって、
それを見て廻っていた時など、人は私以外いなかった。
つまり、どっぷり、仏像に浸かった状態で見れた。
話は阿修羅の像に戻るが、
私はその像について、何の資料も見たり、読んだりしていないので、
私の見た感想をそのまま述べると、
当時、つまり、天平時代のことであるが、
制作された阿修羅の像を見て、
当時の人々は、あまり、高い評価をしなかったのではないか、
という気がしている。
つまり、他の仏像と可也かけ離れたところがあり、
顔もまた、具象過ぎる。
もう一つ言えば、
「左程の名工の手によってつくられたものにあらず」と。
しかし、今日となって、逆にそれらのことが、
現代的で普遍的美が、そこに見えてくる。
奈良では、仏教美術以外にも、多くのものを見た。
そこで一言、「奈良の社会は、奈良時代」
P.S.
1.今度、私の経験から語る海外へ出品するためのマニュアル本を
出そうと思います。
2.日独交流150周年の150人の作品による展覧会を
ハイデルベルクのお城で企画しています。
日本人、ドイツ人、合同展。2011年 夏。
by fromberlin
| 2010-07-18 21:21
| アート