2010年 05月 13日
国際化 |
日本の企業が、国際化時代だ。
と言って何をしたかと言えば、
会社名をカタカナ(英語的)にしただけで、
会社の組織や運営は変化していない。
日本の画廊が、現代アートの風にどのように対応したかと言うと、
わけのわからないものを少し画廊に並べて、
「うちも現代アートに理解ありますよ」
とうそぶいているだけ。
現代アートが何かなんて、全然理解しないまま今になっている。
これは日本の政治も同じで、
表面ヅラだけ変えて進んでいるから、
短いスパンで政策を変化させることになり、
積み上げられるのは国債の借金だけ。
それでも日本の経済力がしっかりしているから何とかなっているが、
こんなこと他国に照らし合わせたら、やっていけない。
政治家のノーテンキは、世界的規模で、
漫才のネタになるくらいなものである。
選挙になると、名前の売れている人を誘って票稼ぎ。
選挙に必ず行くおばちゃん達の
「柔ちゃん、ガンバッテね。」が、聞こえて来そうだ。
だからだんだん政治家のレベルが下がる一方である。
日本の美術界も、今更世界に通用しないのは分かっているから、
背を向けて、美術クラブで頑張るしかない。
若い連中が世界に挑戦したい。
と申請しても足を引っ張り、鎖を付けて動けなくする。
どんな鎖かと言えば、「肩書き」である。
日本の近代美術史を見ると、
芸術を真剣に考えた連中は、みんな海外へ行った。
ところが、中途半端な連中は、数年で日本に戻り、
外遊風を吹かせ、出世した。
社会的出世を拒んだ連中はそのまま海外に。
実は芸術活動というものには、社会性があるかと言えば、
それは後の後の話で、活動をしている時は、
ただ自分を掘り下げる、自分自身の探求でしかなく、
その果てに出来上がった作品が、
社会とどんな接点があるだろうか、となるだけで、
つまり、芸術には目的はない。
最近良く、私の方に作品の感想を求めて来る人がいる。
もちろん、伝えられる範囲で伝えるとしても、
そんな感想なんか気にせず、
どんどん自分を探求し、表現することである。
そこには常に、
「これでいいのか」という「問い」が必要である。
そして、答えるのは自分である。
PS.1.アートフェアの出品についても、
2.ギャラリーDENの会員制にしても、
その内、正式発表しますので、その時点で申込んで下さい。
と言って何をしたかと言えば、
会社名をカタカナ(英語的)にしただけで、
会社の組織や運営は変化していない。
日本の画廊が、現代アートの風にどのように対応したかと言うと、
わけのわからないものを少し画廊に並べて、
「うちも現代アートに理解ありますよ」
とうそぶいているだけ。
現代アートが何かなんて、全然理解しないまま今になっている。
これは日本の政治も同じで、
表面ヅラだけ変えて進んでいるから、
短いスパンで政策を変化させることになり、
積み上げられるのは国債の借金だけ。
それでも日本の経済力がしっかりしているから何とかなっているが、
こんなこと他国に照らし合わせたら、やっていけない。
政治家のノーテンキは、世界的規模で、
漫才のネタになるくらいなものである。
選挙になると、名前の売れている人を誘って票稼ぎ。
選挙に必ず行くおばちゃん達の
「柔ちゃん、ガンバッテね。」が、聞こえて来そうだ。
だからだんだん政治家のレベルが下がる一方である。
日本の美術界も、今更世界に通用しないのは分かっているから、
背を向けて、美術クラブで頑張るしかない。
若い連中が世界に挑戦したい。
と申請しても足を引っ張り、鎖を付けて動けなくする。
どんな鎖かと言えば、「肩書き」である。
日本の近代美術史を見ると、
芸術を真剣に考えた連中は、みんな海外へ行った。
ところが、中途半端な連中は、数年で日本に戻り、
外遊風を吹かせ、出世した。
社会的出世を拒んだ連中はそのまま海外に。
実は芸術活動というものには、社会性があるかと言えば、
それは後の後の話で、活動をしている時は、
ただ自分を掘り下げる、自分自身の探求でしかなく、
その果てに出来上がった作品が、
社会とどんな接点があるだろうか、となるだけで、
つまり、芸術には目的はない。
最近良く、私の方に作品の感想を求めて来る人がいる。
もちろん、伝えられる範囲で伝えるとしても、
そんな感想なんか気にせず、
どんどん自分を探求し、表現することである。
そこには常に、
「これでいいのか」という「問い」が必要である。
そして、答えるのは自分である。
PS.1.アートフェアの出品についても、
2.ギャラリーDENの会員制にしても、
その内、正式発表しますので、その時点で申込んで下さい。
by fromberlin
| 2010-05-13 05:26
| 社会