2010年 04月 27日
価値判断 |
日本だけで作品を発表していると、
どうしても日本の美術界の価値判断に流されてしまって低くなる。
それは、単純に考えてみても
日本の人口は世界の70億分の1に過ぎないし、
芸術を理解する人、となるとさらに、さらに低く。
その上、日本人は、自ら積極的に価値判断に
手を挙げる国民ではない。
日本人の価値判断の基準は
過去の判例があって初めて誰かが言い出す。
全く新しいタイプに対しては、
ビクビク、臆病で物言わず、手を挙げない。
そこにいくとヨーロッパの連中は
自分というものを持っていて、
自己判断、自己責任というものが確立されているので、
堂々と価値判断する。
その中には、当然、おかしい、
というものもあるだろうが、それでもそれを押し通す。
つまり、その二つを比べてみると、
結局そこに表されているものは強さである。
グループケルンジャパン展の参加者と
ART COLOGNEの出品者と比べて、
一体絵のどこが違うか、となると、どこも違わない。
違うのは、ただ一つ。
へたでもなんでもいいから自己主張を貫けるか。
である。
第二回のグループ展の出品者の中に、
イタリアの画廊が絵を見たいと言って来ている
という連絡を受けたが、
おそらくその人の絵も日本の美術関係者は
どのように見ているのか。となる。
世界に出すと、
誰がどのように価値判断しているか見当がつかない。
どこでどんな展開になるかわからないのである。
日本のテレビ局の一つが、
もう日本の市場は限度だということで、
世界に向けた番組作りをするという。
それも遅いなあ!
と思うが、それは正しい。
どうしても日本の美術界の価値判断に流されてしまって低くなる。
それは、単純に考えてみても
日本の人口は世界の70億分の1に過ぎないし、
芸術を理解する人、となるとさらに、さらに低く。
その上、日本人は、自ら積極的に価値判断に
手を挙げる国民ではない。
日本人の価値判断の基準は
過去の判例があって初めて誰かが言い出す。
全く新しいタイプに対しては、
ビクビク、臆病で物言わず、手を挙げない。
そこにいくとヨーロッパの連中は
自分というものを持っていて、
自己判断、自己責任というものが確立されているので、
堂々と価値判断する。
その中には、当然、おかしい、
というものもあるだろうが、それでもそれを押し通す。
つまり、その二つを比べてみると、
結局そこに表されているものは強さである。
グループケルンジャパン展の参加者と
ART COLOGNEの出品者と比べて、
一体絵のどこが違うか、となると、どこも違わない。
違うのは、ただ一つ。
へたでもなんでもいいから自己主張を貫けるか。
である。
第二回のグループ展の出品者の中に、
イタリアの画廊が絵を見たいと言って来ている
という連絡を受けたが、
おそらくその人の絵も日本の美術関係者は
どのように見ているのか。となる。
世界に出すと、
誰がどのように価値判断しているか見当がつかない。
どこでどんな展開になるかわからないのである。
日本のテレビ局の一つが、
もう日本の市場は限度だということで、
世界に向けた番組作りをするという。
それも遅いなあ!
と思うが、それは正しい。
by fromberlin
| 2010-04-27 17:50
| アート