2010年 02月 24日
日本の美のかたち 葛飾北斎 |
葛飾北斎はモチーフのデフォルメにおける天才であった。
このことは当時、活躍していた歌麿や広重と比較しても
抜群の力だったことが北斎の作品の証明するところである。
特に富士山の形。波。雲。
それと、長野県小布施の八方睨み鳳凰図のデフォルメは
それを明らかに証明している。
鳳凰の眼一つで八方を睨みつける。
それは眼の形と大きさからくるものである。
北斎のデフォルメは西洋画のデフォルメとは違っている。
西洋画のデフォルメは形を理論的に分解していくことで
最終的な形を理解させるものであるが、
北斎のデフォルメは感覚的デフォルメである。
例えばこれは春画に見られる
男性のペニスの巨大化もそれであるが、
富士山。雲。波。
という自然の現象が人に与える恐怖的印象から
形を作り上げていくものである。
これは一種の心的抽象表現である。
そうしてみると西洋のみならず、
これが日本の抽象表現の存在であったということになる。
しかし、これは西洋の抽象理論と別に考える必要もある。
その辺のところを再度考えてみたいと思っている。
もう一人、尾形光琳のデフォルメも見逃してはならない。
それは光琳模様と言われるものではなく、
例えば、かきつばた図の配列の仕方、紅白梅図の川の形、
このようなデフォルメを一体どのように
美術史上で取り扱っているかは私の知識にはないが、
これは、美術的思考上で考えるより、
東洋の精神、宗教、思想の中で生まれて来たものであるから、
その辺を深く探ることが必要である。
北斎のデフォルメの才について語るところが、
光琳まで出してしまった。
このことは当時、活躍していた歌麿や広重と比較しても
抜群の力だったことが北斎の作品の証明するところである。
特に富士山の形。波。雲。
それと、長野県小布施の八方睨み鳳凰図のデフォルメは
それを明らかに証明している。
鳳凰の眼一つで八方を睨みつける。
それは眼の形と大きさからくるものである。
北斎のデフォルメは西洋画のデフォルメとは違っている。
西洋画のデフォルメは形を理論的に分解していくことで
最終的な形を理解させるものであるが、
北斎のデフォルメは感覚的デフォルメである。
例えばこれは春画に見られる
男性のペニスの巨大化もそれであるが、
富士山。雲。波。
という自然の現象が人に与える恐怖的印象から
形を作り上げていくものである。
これは一種の心的抽象表現である。
そうしてみると西洋のみならず、
これが日本の抽象表現の存在であったということになる。
しかし、これは西洋の抽象理論と別に考える必要もある。
その辺のところを再度考えてみたいと思っている。
もう一人、尾形光琳のデフォルメも見逃してはならない。
それは光琳模様と言われるものではなく、
例えば、かきつばた図の配列の仕方、紅白梅図の川の形、
このようなデフォルメを一体どのように
美術史上で取り扱っているかは私の知識にはないが、
これは、美術的思考上で考えるより、
東洋の精神、宗教、思想の中で生まれて来たものであるから、
その辺を深く探ることが必要である。
北斎のデフォルメの才について語るところが、
光琳まで出してしまった。
by fromberlin
| 2010-02-24 07:47
| 日本の美のかたち