2009年 10月 27日
常識論 |
科学も芸術もあるいは全てのものの論理は、常識論で満ちている。
これらの論理の出発点は、当然、大宇宙の理論ということになる。
宇宙の営み、地球の営みを理解していけば、全てそこに当てはまる。
ということになる。
私は、職業柄、毎日新しいことを求めている。
今までの自分の仕事を打破するものを。
それは、物理的なものであったり、精神的なものであったり、と様々である。
そして何か一つモチーフを考え出した時、
それ自体の真実性をあらゆる角度から精査していく。
そして、そのモチーフを進める方向の未来性を感じた時、仕事に着手する。
簡単に言うと、そのモチーフの希望性である。
ある時から木を描き出して、変った木を描いているので、ある人が、
「寺田は一体、何を考えているんだ。」となった。
しかし、それを無視して描き続け、
だんだん自分の木が一つの理論を形成し出して来る。
と、今度は、ある人は、「おもしろい。」と言い出した。
みんなにモチーフが理解され始めると、そういうことを言い出す。
しかしそうなると、逆に私はおもしろくなくなってくる。
そこから、また、脱皮したくなる。
ある日、木製のフルート工房を訪ねた。
そこで目にして驚いたのは、数多くの木製のフルートではなく、
一枚の木の写真であった。
「この木は、どこの木か。」と尋ねると、
「タンザニアだ。」と言う。
変った木だ。というので驚いたのではなかった。
私が描いている木、そのものであった。
空想の木だと思って描いていたものが、現実にあったのである。
それも、私のモチーフに求める理論にも合っていた。
タンザニアの巨木の中には、水が入っている。という。
木に穴を開けると、水が出る。貯水木である。
正にそれは、そこで暮らす人々にとって、生命の木であった。
この巨大な貯水木が、タンザニアのサバンナに無数に林立している。
空想は人間だけが持つものであるが、その空想に正義性があれば、
恐らくそれは宇宙の営みの中に組み込まれると考える。
実は、このことは、科学や芸術だけではなく、政治・経済にも言えることである。
当たり前のことを当たり前のように進めていく政治・経済にこそ、未来があるのであって、
常識に欠ける政策に未来はないのである。
常識無くして、ものの論理は成立しないのである。
過去の偉大な哲学者の論理もまた、
常識的思考の蓄積によって成立している。と推測する。
これらの論理の出発点は、当然、大宇宙の理論ということになる。
宇宙の営み、地球の営みを理解していけば、全てそこに当てはまる。
ということになる。
私は、職業柄、毎日新しいことを求めている。
今までの自分の仕事を打破するものを。
それは、物理的なものであったり、精神的なものであったり、と様々である。
そして何か一つモチーフを考え出した時、
それ自体の真実性をあらゆる角度から精査していく。
そして、そのモチーフを進める方向の未来性を感じた時、仕事に着手する。
簡単に言うと、そのモチーフの希望性である。
ある時から木を描き出して、変った木を描いているので、ある人が、
「寺田は一体、何を考えているんだ。」となった。
しかし、それを無視して描き続け、
だんだん自分の木が一つの理論を形成し出して来る。
と、今度は、ある人は、「おもしろい。」と言い出した。
みんなにモチーフが理解され始めると、そういうことを言い出す。
しかしそうなると、逆に私はおもしろくなくなってくる。
そこから、また、脱皮したくなる。
ある日、木製のフルート工房を訪ねた。
そこで目にして驚いたのは、数多くの木製のフルートではなく、
一枚の木の写真であった。
「この木は、どこの木か。」と尋ねると、
「タンザニアだ。」と言う。
変った木だ。というので驚いたのではなかった。
私が描いている木、そのものであった。
空想の木だと思って描いていたものが、現実にあったのである。
それも、私のモチーフに求める理論にも合っていた。
タンザニアの巨木の中には、水が入っている。という。
木に穴を開けると、水が出る。貯水木である。
正にそれは、そこで暮らす人々にとって、生命の木であった。
この巨大な貯水木が、タンザニアのサバンナに無数に林立している。
空想は人間だけが持つものであるが、その空想に正義性があれば、
恐らくそれは宇宙の営みの中に組み込まれると考える。
実は、このことは、科学や芸術だけではなく、政治・経済にも言えることである。
当たり前のことを当たり前のように進めていく政治・経済にこそ、未来があるのであって、
常識に欠ける政策に未来はないのである。
常識無くして、ものの論理は成立しないのである。
過去の偉大な哲学者の論理もまた、
常識的思考の蓄積によって成立している。と推測する。
by fromberlin
| 2009-10-27 20:59
| 社会