2009年 05月 28日
無 |
「無」の状態は、どんな状態をいうのか。
と尋ねられたが、これを説明するのは難しい。
若い時、私も毎日参禅していて、
本当に無の境地になるものか。と疑っていた。
ある日、その時の坐禅ももうそろそろ終わろうとしていた時、
禅堂に住職の声が響き渡った。
「無の状態とは、追いかけないことである。」
その言葉がいまだに私の耳から頭から離れない。
無を説明することには、多くの言葉が必要であるが、その一点だけを取り上げてみたい。
「追いかける」ということに次の話がある。
ある禅匠と弟子の一行が川にさしかかった時、川の水が増水していた。
そこに若い女が立ち往生しているのを見て、禅匠が若い女をひょいと抱えて川を渡った。
もちろん弟子達もそれに続いて渡った。
川を渡終えた禅匠は、若い女を降ろし、また旅を続けた。
しばらくして、弟子達が禅匠に尋ねた。
「師よ、師はなぜ若い女を抱いて川を渡ったりしたのですか」
つまり、師にあってはならない行為ではないか。
と戒めたわけである。
すると、師は、
「お前達は、まだ、若い女を抱いている。」
と言った。
つまり、ものごとのけじめを諭している。
既に事件は終了しているにも関わらず、
頭の中でずーっとその事件を引きずっているのである。
無の状態とは、目にしたもの、耳にしたもの、口にしたもの、
全ての事件が終われば終わりである。
引きずってはならない。
それを「追いかけない。」という。
と尋ねられたが、これを説明するのは難しい。
若い時、私も毎日参禅していて、
本当に無の境地になるものか。と疑っていた。
ある日、その時の坐禅ももうそろそろ終わろうとしていた時、
禅堂に住職の声が響き渡った。
「無の状態とは、追いかけないことである。」
その言葉がいまだに私の耳から頭から離れない。
無を説明することには、多くの言葉が必要であるが、その一点だけを取り上げてみたい。
「追いかける」ということに次の話がある。
ある禅匠と弟子の一行が川にさしかかった時、川の水が増水していた。
そこに若い女が立ち往生しているのを見て、禅匠が若い女をひょいと抱えて川を渡った。
もちろん弟子達もそれに続いて渡った。
川を渡終えた禅匠は、若い女を降ろし、また旅を続けた。
しばらくして、弟子達が禅匠に尋ねた。
「師よ、師はなぜ若い女を抱いて川を渡ったりしたのですか」
つまり、師にあってはならない行為ではないか。
と戒めたわけである。
すると、師は、
「お前達は、まだ、若い女を抱いている。」
と言った。
つまり、ものごとのけじめを諭している。
既に事件は終了しているにも関わらず、
頭の中でずーっとその事件を引きずっているのである。
無の状態とは、目にしたもの、耳にしたもの、口にしたもの、
全ての事件が終われば終わりである。
引きずってはならない。
それを「追いかけない。」という。
by fromberlin
| 2009-05-28 18:40
| 禅